無天記録 /ADHD/ASD/発達障害/

ADHD(+ASD?)男性のライフハック記事

卵アレルギーなら卵を食べなければいい。ほかのことも一緒。

 

人によって出来ることと出来ないことがあります。

 

例えば、卵アレルギーの人は卵を食べると酷い目にあいます。

ではどうしたらいいのか。食べなければいいのです。

 

「卵アレルギーがあって、食べたら死ぬほど苦しくなる」という人に対して、

「頑張って食べろ。気合でどうにかなる。」とは言いませんよね。

 

さて、この2つだったらどっちがいいと思いますか?

「卵アレルギーだけど食べたい。食べれないのが悔しいし苦しい。」

「卵アレルギーだから卵は食べられない。他の美味しいものを食べよう。」

 

どっちがいいかって言ったら、後者ですよね。

アレルギーだけではなく、人にはそれぞれの能力があります。

出来ることや出来ないこと、得意なことや不得意なことがあります。

残念なことですが、人は平等ではないのです。

 

出来ないことを認めないと、苦しみ続けることになります。

ですが、出来ないことを認めて受け入れられたら、苦しみから解放されます。

 

あなたには出来ないこともありますが、出来ることもあります。

美しくはないけど人をグッと惹きつける話術を持つ人もいます。

話すのは苦手でも読んだ人が感動する文を書ける人もいます。

とくに秀でたところがなくても人を安心させられる人もいます。

 

自分のできないことを認めましょう。そして受け入れましょう。

そうしたら、新しい景色が見えてきます。

 

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フラ・アンジェリコ(1387-1455) 「受胎告知」



「〜したい!」と思えることが必ずしも幸せではない

 

前々回の記事に続き、仏教的な幸せの話になります。

 

希望がない幸せ

前々回の記事では、希望がないことが仏教的な幸せだと書きました。

希望がないというのは、執着がないという意味です。

「お金をもっと欲しい」「もっと美しくなりたい」「もっと人に好かれたい」

そういう希望がない状態が幸せだということ。

「〜したい!」という希望を持たない状態が幸せ。

 

今回のタイトルの内容に入ります。

 

意欲にあふれている人は幸せ?

「〜したい!」と思ってる人って、元気で幸せな人に映りますよね。

よく、「夢や目標を持って頑張れ!」と言われますよね。

 

でも、仏教的にはそれは幸せから離れた状態なのです。

それは前々回の記事に書いたように、

「もっと欲しい!」という希望が次から次へと湧いてくるから。

 

こういう希望は人の理性を惑わせてしまうのです。

仏教では、欲望は無限で際限がない、とされています。

 

例えば「もっとお金が欲しい!」と思うとしますね。

そうすると、いろいろと考えが浮かんできます。

「もっと働かないと。もっと働くにはあれをやめないと。」

「うまく働かないと。うまく働くためにはあれをしないと。」

他にも節約のことなど、いろんなことが浮かんできますね。

 

そんな事を考えていると、エネルギーと時間を使ってしまいます。

あまり意識しないことですが、人は考えるときにエネルギーと時間を使っているのです。

そして、考えにとらわれると現実をそのままに捉えにくくなります。

執着している考えがあってそちらに気を取られているから、当然ですね。

 

意欲が苦しみを生む

執着を続けると、現実をそのまま受け入れる余裕がなくなります。

そうなると、疲れてしまったり、お酒や物事に依存しやすくなってしまいます。

苦しみが増えていきます。

 

そして、欲望にはキリがない。

苦しみもキリがなくなってしまうのです。

 

日本ではたくさんの人が苦しさから毎日自分の命を絶っています。

死なないまでにしても、日々つらい思いをしている人はたくさんいます。

 

死にたいと願う赤ちゃんはいません。おそらく。

日々の生活の積み重ねの中で苦しみも積み重ねてしまい、

あげくは死をも願うようになってしまうのです。

 

「〜したい!」を見直す

僕たちは「目標を持て」「それに向かって頑張れ」と教えられてきました。

ですが、それが必ずしも自分を幸せにするものとは限らないのです。

 

一度でも二度でも、自分の頭をすっきりさせましょう。

自分が今何に執着しているか、なぜ苦しいのか、考えてみましょう。

執着を捨てることで、行きやすくなると思います。

自分の心の自由を、自分で取り戻しましょう。

 

「死にたい」は「幸せになりたい」

 

「死にたい」は、

「本当に死にたい」ではなかったりします。

 

死ぬっていうことは消えるっていうこと。

でも「死にたい」って思うとき、

「自分がすべて消えるイメージ」っていうより、

「辛さがすべて消えるイメージ」だったりしませんか?

 

そういうときは、

「死にたい」じゃなくって、

「もっと幸せに生きたい」なんです。

 

あなたが「もう死んでしまいたい」って思ってるときでも、

あなたの心は「ただ幸せに生きたい」と願っているだけなのかもしれません。

 

あなたの中の「死にたい」を、「幸せになりたい」に変えてみましょう。

なにかが少し変わるかも知れませんよ。

 

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ピーテル・パウルルーベンス(1577-1640)「四大陸」

「希望がかなった幸せ」と「希望がない幸せ」

 

幸せの種類

幸せには2種類あると思います。

 

1つは「希望がかなった幸せ」

 

「お金が溢れるほどほしい」とか、

「美しくなりたい」とか、

「愛されたい」とか。

そんな様々な希望がかなった幸せ。

欲しいものが手に入ったとき、幸せですよね。

 

もう1つは「希望がない幸せ」

 

これは執着から離れた幸せです。 

「お金は充分ある」とか、

「私は十分美しい」とか、

「私は愛されてる」とか。

今の状態に満足していて執着がない幸せ。

 

どっちがいい?

 

「希望がかなった幸せ」はとても充実したように感じますが、

これには「キリがない」という特性があります。

 

お金があれば「もっと欲しい」、

美しくなったら「もっと美しくなりたい」、

愛されたら「もっと愛されたい」。

 

「希望がない幸せ」はなんだか物足りないような感じもしますが、

現状に満足しているので、「もっともっと欲しい」がありません。

これは仏教的な幸せだそうです。

 

今の僕たちが求める幸せは?

 

今の日本、衣食住は割と満たしやすいです。

だからこそ、「もっともっと欲しい」となりがちです。

 

「希望がない幸せ」を大事にすることは、

幸せに生きるためにとても大事なことかも知れませんね。

 

 

 

「なんのために生きてるのか?」と考えるときは疲れてるとき

「はぁ、今日も不注意でミスをした」、

「今日も〇〇さんに嫌われたかも知れない」、

そんなこと考えてクヨクヨしてるとき、

つい「私はなんのために生きてるのだろう?」と考えてしまいませんか?

 

思い出してほしいんですが、あなたがそう考えるときって、あなたが落ち込んでるときばかりじゃないでしょうか。

 

そして更に思い出してほしいのですが、落ち込んだときに「なんのために生きてるのだろう?」と考えて元気が出たことはありますか?

 

たぶん、殆ど無いと思います。

「私なんて生きる価値ない…」っていう方向に行っちゃうと思います。

 

てことは、「私はなんのために生きてるのだろう?」なんて、考えなくていいってことです。無駄。それどころかマイナス。

 

あなたが幸せなときには、そんなこと疑問に思いません。

すごく満たされてるときに、「ああ、私はなんで生きてるんだろう…」なんて考えないですよね。

 

人間なんてただの動物です。

あなたが生きる大義が存在していなくたって、あなたは生きていていいし、幸せになっていいのです。

 

哲学的なこと、難しいことを考えているとなんだか頑張っている錯覚を覚えたりする気持ちはわかりますが、いっそ知能を猿並みに落としてしまいましょう。

 

「なんのために生きてるのか?」への答えは、

「わかんない!」で十分です!

 

些細な意識改革で、弱点は強みに変わる

些細な意識改革で、弱点は強みに変わります。

その例として、『童貞』について考えてみましょう。

 

童貞のあなた、童貞であることを恥じていませんか?

「いい年こいて童貞なんて恥ずかしい」

そんなふうに考えて落ち込んでしまったり、自身を失ってしまってはいませんか?

でも、ちょっとした意識改革で、それがパワーになるかも知れません。

 

僕は童貞のとき、死ぬほどセックスしたかった。

あのパワーは凄かった。動物の本能って感じです。

つまり、童貞は凄まじいエンジンを搭載している。

 

童貞が考えること。

【念願のセックスをするために何をするか】

それを考えることで、様々な行動に繋がります。

ーファッションに気合を入れておしゃれになる

ー仕事に全力投球してカネを稼げる男になる

ー語学をマスターして外国語をペラペラ喋れる男になる

みたいな感じに、目標像を強く描けるわけです。

そして、モテたいというエネルギーが、

その目標に向けてエンジンを急速回転させるのです。

 

つまり童貞であるだけで、

目標達成に重要な、

①目標設定

②目標達成までのプロセス策定

③プロセスを実現ためのエネルギー

その3点が揃っているわけです。

「童貞である」だけで、です!

 

あなたが童貞であることは恥じることではありません。

あなたは燃えるようなエネルギーを持っているということなのです。

恥じることではありません!誇りましょう!

"I am DOHTEI with large passion!"

さあ、その炎を燃やしましょう!

 

 

ADHDがメンタルやられるのは無理もない

それにはいろいろな原因がありますが、例えば下記2点があります。

 

〜〜〜〜〜〜

 

①悩む材料の多さ
・障害に基づく欠点によるストレス
・高確率で患う二次障害によるストレス
・上記を改善する過程でのストレス

 

②見通しの弱さ
将来の見通しを立てて対策する力が弱いため、大量の上記の様な問題に圧倒されて、「もう無理…」となる。

 

〜〜〜〜〜〜

 

これらは避けて通れない道です。

たくさんのADHD当事者がこの壁にぶつかってきました。

 

だからどうするか?

 

僕はいろいろ考え続けてきて、今も考え続けているのですが、

「開き直る」

ことが大事だと思っています。

 

『変えられるものを変える勇気を、

変えられないものを受け入れる冷静さを、

そして両者を識別する知恵を与えたまえ』

 

これはアメリカの神学者ラインホールド・ニーバーの祈りの言葉です。

 

僕たちにとって、変えられるものと変えられないものがあります。

変えられないもの、それは衝動性だったり、不注意だったり、多動だったり。

変えられるもの、それは認知の仕方だったり、技能的(専門技術や語学など)なものであったり。

変えられないものもあるけど、努力で変われるところもある。

 

変えられないものへの執着を捨て、前を向いて変えられるところを変える。 

とても単純なことですが、これこそが僕らにとって一番大事なことだと思います。